地方在住落ちこぼれ学生の雑記

あんまり信用できないブログ兼公開メモ

松尾匡氏のコラムの雑感②と日本は新自由主義であったかのかという問題を扱いながら再び新自由主義擁護②

 資本論とかけて嘘ととく、そのこころはどちらも設計的でよくできている。

作 わたくし

次の二つの主張のうち、どちらがケインズ派の主張で、どちらがフリードマンの主張でしょうか。

A.不況になったら、中央銀行がおカネをどんどん発行すること(金融緩和)や、政府が財政支出の拡大をするべきである。そうすると、経済全体のモノやサービスを買おうとする力(総需要)が増えて、景気がよくなる。

B.金融緩和や財政支出拡大をしたら、一時的には生産や雇用が増えるが、それは長続きせず、やがては元の木阿弥になってしまう。結局、インフレや財政赤字が悪化するだけ損で、有害無益だ。

もちろん、Aがケインズ派、Bがフリードマンの主張です。(略)Bは、左翼の怨嗟の的で、世界に新自由主義の惨禍をもたらしたとして悪魔の学説の教祖扱いされているフリードマンの主張です。

 

そして日本今回は特に安倍政権の金融政策は

日本銀行では、2013年4月に、「量的・質的金融緩和」を導入しました。その後、2014年10月には「量的・質的金融緩和」の拡大、2015年12月には「量的・質的金融緩和」を補完するための諸措置の導入、2016年1月には、「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」の導入、2016年7月には「金融緩和の強化」を行いました。

日本銀行HP

金融緩和はケインズ経済学の主張ですね。ケインズはお金の価値を下げて需要を増やす政策(古典派は供給を重視)を重視していたので、デフレ脱却を目指す安倍政権ではこちらを重要視したのでしょう。特にオールドなケインズ財政出動に精を出していましたが、今のケインズは金融緩和を重視していますから。インフレ目標もニューケインジアンの政策ですね。ニューケインジアンのグル―グマンさんが日本に対して提案しています。

 ここまで松尾匡氏のコラムの感想

 

 さて引き続きアダムスミスの論を使って新自由主義(古典派経済学)の擁護をしたいと思います。大事なキーワードは「格差是正より弱者の救済」・「成長なくして分配なし」の二つにしておきましょうか。

 文明社会には未開社会にはない不平等が存在する。しかし、文明社会では、 労働生産性が高いため、総生産物は、すべての社会構成員を養うことができる。そして、最下層の労働者ですら、未開社会の人びとよりも多くの必需品と便益品を消費できる。スミスにとって、国民の豊かさの増進とは、(略)社会の最下層の労働者が消費できる必需品と便益品の量、つまり最低水準の富が増大することだといえる。

堂目卓生. アダム・スミス 『道徳感情論』と『国富論』の世界 (中公新書) (Kindle の位置No.1816-1820). 中央公論新社.  

 脱成長コミューンにおける車無しネット無しテレビ無しエアコン無し生活と格差だけども文化的な最低限度の水準として生活保護者がスマホとエアコンと原付か軽自動車が認められているのはどちらが弱者にとって真にいいかと考えたとき、アダムスミスはたとえ格差が激しくても後者の方が水準の高い生活をしているとしたわけですね。

 スウェーデンは高福祉国として有名ですが労働生産性も高いのです。雇用の流動化が進み生産力(供給力)の低い企業はつぶれてもいいという考えの基、サーブやボルボが倒産の危機を迎えた際には政府は援助をしなかったのです。生産性の高い企業に重きを置く、つまり生産性の高い企業というのは成長分野にあるわけですからそこに人的投資をする成長分野の雇用を増やすとなると雇用の流動化は必須の条件となります。

 アダムスミスは経済の成長は分業制と資本の蓄積にあるとしました。ジェネラリスト信仰が強くスペシャリストの扱いが弱い、そのうえ利益剰余金を敵視するような国に成長はないのです。専門用語をやめて定義の薄い俗語を使えば、利益剰余金というのは内部留保なんですがね。

資本家の消費が不変であるならば、税の支払いが小さければ小さいほど資本家の貯蓄が大きくなるということである。税によって徴収された生産物は、主として公務員や軍人の雇用に用いられる。公務員や軍人は、生産に直接携わる労働者ではないので、不生産的労働者である。税の支払いが小さくなり、その分、資本家の貯蓄が大きくなれば、政府部門の不生産的労働を民間部門の生産的労働として用いることができる。

堂目卓生. アダム・スミス 『道徳感情論』と『国富論』の世界 (中公新書) (Kindle の位置No.2292-2296). 中央公論新社

 面白い指摘です。増税が単なる消費減退につながるだけでない構造的な問題に強く切り込んでいます。そしてなぜ新自由主義が行政裁量の削減を目的とした緊縮のためではない小さな政府を志向した理由がよくわかると思います。

 長すぎるのでここで打ち切りです。続くかもしれないし続かないかもしれません。

 まあ新自由主義を擁護しましたがケインズを否定したいというつもりはありません。ケインズは失業者がいることを主眼において理論を展開しましたが、古典派は失業者がいないことを前提に理論を展開しました。なので景気が悪化して失業者が増えているときに古典派の経済政策をするのは愚策であるとも言えます。しかし、行政裁量を減らすのはこれに反しないと考えています。あくまで無駄を減らす作業ですので。